無事の便りの無事って本来どのような意味?

秋の便りの届く季節になりました。心理カウンセラー佐藤城人(しろと)です。

「元気にしてるよ。あなたは?」

友だちや知人から、元気な便りが届くと嬉しくなりますよね。その人の屈託のない笑顔を思い出し、過ぎし日のことを懐かしく感じることでしょう。

さて便りというのは、不思議なもので、「来ないかなぁ。早く来ないかなぁ」と願う時はなかなか来ない。そして、こちらが忘れたころ、ひょっこり届くもののようです。

このような経験はありませんか?

『無事』とは、本来「求めることをやめること」を意味します。仏教、特に禅の言葉なんですね。

例えば、坐禅を組んだり、日々厳しい修行を行ったり・・・

「悟りとはなんぞや。御仏とはなんぞや」と求めても、答は見つかりません。そうではなく、体や心をいったん、解き放ってみること。掴まえようとする のではなく、「無事」に(自分の囚われを)解いてみる。そうすると、見えないものが見えてくるのかもしれません。それまでは気づかなかったものの有り難さ に気づく。これが、本質を知るということなのでしょう。

ところで、私の自宅の庭には柵がありません。どなたでも自由に往来ください、この想いからです。

そのせいか、犬や猫の足跡をよく見かけます。日中、陽当たりの良い場所では、猫がゴロゴロしています。どこから来たのか?猫たちは、何匹もお腹を出したまま、無防備な姿です。そして、夕陽の沈むころ、自分たちの寝床に帰ってゆきます。

 

「猫はネズミを追いかけるもの。犬はしっかり見張りをするもの」

このような言い方もあります。しかし、そうではない猫や犬、ネズミを追わない猫や見張り番をしない犬はダメなのでしょうか?

私たちは、つい自分の価値観に囚われてしまいます。そして、その価値観から外れる自分に苦しくなり、その価値観に合わない相手にイライラしがちです。

犬や猫の屈託のない姿を見るにつけ、この姿こそ悟りの境地かなぁと思うんですね。

『無事』とは、価値観を解き放つこと、彼らは語っているのかもしれません。

各地からの秋の便り。筆まめとは言い難い私ですが、今年は少し書いてみようと思うのです。

「自分自身の囚われや思い込みから解放されたい」という方はご相談ください。

心理カウンセラー 佐藤城人